深刻に読んではいけません
まおです。
精神状態が普通で無い人のブログを、深刻に読み込んではいけません。
あくまで他人事。
なるほどそんな気持ちなのか・・・その程度に読んで貰えたら嬉しい。
理解して貰えるとは思って居ない。
でも、頭ごなしに否定されるのは辛いのです。
死にたいと公言すること
「どうせ死ぬつもりも無いくせに」
「大袈裟な」
「同情を集めたいだけだろ?」
そう言われても仕方ないと思います。
「(病気等で)生きたくても生きられない人も居るのに、死にたいなんてバチ当たりだ」
そう考える人が居ても当然だと思います。
でも、分かって欲しいのは、単純に「嫌なこと」や「辛いこと」から逃げ出したいから「死を選ぶ」のではありません。
どんな例え話をすれば分かり易いでしょう。
私の場合は、正確には「死にたい」では無く「この苦しさから解放される方法が『死』しかない」のです。
例えば、高層ホテルの高層階で火災に遭ったとしましょう。
スプリンクラーは作動しません。
ドアを開け、廊下に逃げることも出来ません。
熱い炎が目の前まで迫ってきます。
肌が、髪が、チリチリと音を立てて焼け焦げていきます。
薄れゆく記憶の中で、熱気で窓ガラスが割れました。
藁にもすがる思いで、窓の外に体を乗り出します。
そこは地上30階。
助けを呼ぶ声は地上には届くはずも無く、消防の梯子車も届きません。
窓枠を掴んだ手は、高温で焼けただれ、焦げ付いて離れなくなりました。
部屋の中からは高温の炎であぶられ、窓の外に顔を出し酸素を吸います。
自身の背中に火が付いて焼け焦げるのが分かります。
熱い、痛い、苦しい、怖い・・・
この絶体絶命の状況から抜け出すために、高層ホテルの窓から飛び降りることを選ぶのです。
死にたいのでは無く「死ぬしか無い」の意味
私だって死にたいわけでは無いのです。
でも燃えさかる炎の中でなすすべが無く、助けも来ない状況で「それでも生きろ」というのは酷ではないでしょうか?
この場合、死を選んでも良いのではないでしょうか?
死ぬこと以外に、この苦しさから逃れられないのです。
真っ黒になって焼け焦げて死ぬより、飛び降りて死ぬという選択肢を与えて欲しいのです。
「生きろ生きろ」が正しいと言えるでしょうか?
だから「尊厳死」を法律化して貰いたいのです。
うつ病なのか双極性障害なのか統合失調症なのか?
自分が何の病気なのか分かりません。
でも、自分自身が普通の状態で無いのは、幸いにも理解出来ています。
だから責めないで下さい。
この記事を不快に思うかたもいらっしゃると思います。
でも私を、頭ごなしに否定しないで下さい。
この記事のコメント欄は閉めさせて頂いています。
ゴメンなさい。