鬱という病気
まおです。
「うつ病になっちゃったんだよね」
そう打ち明けることが多くなった。
仕事も長い間休んでいる。
友達に誘われても出掛けて行けない。
「最近、どうかしたの?」
そう聞かれて誤魔化しきれなくなったのだ。
うつ病と打ち明けても、皆それほど驚かない。
そのくらいポピュラーな病気だ。
そして誰もがたいしたことない病気と思うのだろう。
いや、励ましの意味もあったのかもしれない。
ビックリする言葉が返ってきた。
「鬱なんか病気じゃないよ」
「家の中に引きこもっているからだよ」
「何か始めれば?」
誰も私の苦しさを、分かってくれないと思った。
こんなに傷ついたことはなかった。
自殺を考えた
「死にたい」というより
「この苦しさから解放されたい」
そう思った。
ググったよ。
「自殺の仕方」
「確実に死ぬ方法」
「苦しまずに死ぬ方法」
「迷惑を掛けない死に方」
「綺麗な死に方」
ググればググるだけ出てきた。
yahoo知恵袋でも、沢山の人が質問していた。
楽な死に方は凍死らしい。
雪山で眠るように逝くのが良いらしい。
でも、現実的じゃないよね。
簡単なのは練炭?
でも遺体は悲惨らしい。
そんな姿を見られたくない。
死にたいのに、死ぬ勇気がない。
生きていても仕方ないのに、
死ぬことも出来ない辛さ。
でも、ある言葉に救われた。
安楽死
それは「死に方」を探している人に、
同じ悩みを持った人が答えていました。
「私も貴方と同じように、楽に確実に死ねる方法を探しています。
でも、なかなか見つかりません。
望みは、日本で安楽死法案が可決することです。
その時を、一緒に待ちませんか?」
ものすごく救われました。
生きることが辛くて仕方ないのに、死ぬことも出来ない。
でも安楽死が認められたら、苦しまずに逝くことが出来ます。
安楽死法案が可決される「その日」が、まさに希望になりました。
その日が来るまで頑張って生きていよう。
そう思ったら、気持ちが楽になりました。
出来れば「安楽死」ではなく「尊厳死」と呼ばれたい。
どうですか?
呆れちゃうでしょ。
うつ病の人間の思考って、
こうなっちゃうんですよ。
自殺は愚かなこと。
そんなことは百も承知だけれど、死ぬ以外にこの苦しみから抜け出せないのです。
でも最近、自分がうつ病だという自覚が持てるようになっただけ、病状が良くなったと思います。
こうしてパソコンを開けるのも、嬉しいことです。
それでいいと思います。
生きる理由なんて、人それぞれ。
死にたい理由も人それぞれ。
私の場合、家族が悲しむから生きていたい。
美味しいものが好きだから生きていたい。
夫と、もっといろんなところに行きたいから生きていたい。
ただ単に、自分が消えるのが怖いから死にたくない。
そんなもんです。
どんな病気も、なった人しかその苦しみはわからない。
安楽死で死ぬと決めたなら、他人の言葉で悩んでないで、堂々とその日を待ちましょう。
すみません、肝心なことを忘れていました。
私は、まおさんのブログがまた読めて、素直に嬉しいです(^-^)
病気を受け入れられるようになるのはすごい前進だと思います。
私も鬱です。今はだいぶ良くなりましたが、今でも薬は手放せません。
でも今は別に無理に完治しようとは思いません。
私もストレスが重なりある日起き上がれなくなり、そのまま仕事を辞めてしまいました。
でも死のうとは思いませんでした。なぜなら私の父は自殺をしたからです。
残された者は何年も自分を責め続けます。
だからまおさんも死なないでください。死んでも何も生まれませんが、生きてさえいれば、いつかまた幸せを感じるようになりますよ。
渦中の人には受け入れ難いかも知れません。承認しなくてもいいです。
生きて下さい。