お囃子の音を聞きながら
まおです。
歯科医院の前を、屋台が通り過ぎます。
時刻はもうすぐ22時。
二人で少し遅い夕食を取りました。
私の作った茶碗蒸しとお吸い物を
『美味しいよ』と言ってくれた一樹さん。
嬉しい反面、何も用意出来なかった自分に、少し自己嫌悪も感じていました。
松浦さんの重箱の中身が気になっていたのです。
あの醤油の香りは煮物かな?
時間をかけて調理したんだろうな。
それに比べて、私は何も用意しなかった。
いつまでも、そんなこと考えていても仕方ないんですが。
食後は、ハーゲンダッツのアイスを頂きました。
2種類の味を半分こしながら食べる。
そんな些細なことが幸せと感じます。
不思議なもので、人間お腹が一杯になると心も満たされる様で、先程までの怒りの気持ちも収まっていました。
このまま何事もなかったかのように、時間が過ぎるのかもしれない。
しかし、一樹さんが切り出してくれました。
今夜のこと
『松浦さんのことだけどね、最初に言っておくけど、まおさんが心配するような関係じゃないよ。』
「それは分かってるの。でも、松浦さんは一樹さんのことを名前で呼んでたし、ファンデーションはちょっとね」
『僕のことを名前で呼んだ?変だな。いつも先生と呼ばれてたけど。』
もう従業員ではなくなったので「先生」ではなく「一樹さん」と呼んだのか?
いや違うな。私への対抗心だったのではないかと感じました。
松浦さんは、有給を消化して今月10日付で辞めてもらったそうです。
詳しい事は、ここには書けないのですが、一樹さんは松浦さんに医院に出勤することを許さなかったみたい。
そして松浦さんは、今夜「白衣」を返しに来たようです。
私は重箱に気をとられていて気付かなかったのですが、手提げの紙袋に白衣が入っていました。
そのついで(?)に手料理を詰めた重箱を持ってきたようです。
私は一樹さんに尋ねました。
「手料理を持ってくるのは、今日が初めてじゃないよね?」
話は、3年も前に遡るそうです。
離婚を機に正社員に
松浦さんは、一樹さんと同じ38歳。
そして3年前に「離婚」されたのだそうです。
開院当時からパートとして勤務してくれて、仕事も一生懸命やってくれた。
離婚を機に「正社員にして貰えないか」と相談を受け、一樹さんは二つ返事でOKしたそうです。
アパートの保証人にもなったそうです。
経営者が従業員の保証人になるのは、そう珍しい話ではありません。
同い年で、同じバツイチ、仕事も同じ。
気が合ったのでしょうか?
残業で終業が遅くなった日は、他の従業員さんも交えて、あるいは、二人だけで食事に行ったこともあったそうです。
また、このころから「お世話になっているお礼」として手料理を届けてくれるように。
そして正社員になってしばらくした頃、松浦さんから突然「私と結婚して」と言われたそうです。
なんだ。
結局、そういう話があったんじゃないか。
「心配するような関係じゃない」って言ったのに。
私は、みるみる涙が溢れそうになりました。